八ヶ郷堰探訪!

山形市は”堰”の街として堰マニアの間ではたまらない街づくりとなっています。

通称”山形五堰”のひとつで馬見ヶ崎川の旧河道でもある「八ヶ郷堰」を歩いて探訪してみました!

●コメントに書いてある町名をクリックすると撮影した場所の地図が見れます。

●山形五堰の詳しい説明は画像の下に書いています。

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小白川町、山形蔵王IC近くの馬見ヶ崎川原沿い。この辺りから堰が始まってるらしいのですが・・・。
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小白川町、あたご団地裏。ついに堰を発見!御殿堰と八ヶ郷堰は最初のほうでは一緒なんですねえ・・・。
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小白川町、あたご団地裏。先のほうには松原浄水場があります。スタートは浄水場のあたりなのでしょうか。
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小白川町、第八小学校東側。堰は13号バイパスを越えてきました。この辺りは自然の流れが残っていました。
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小白川町、第八小学校北側。この辺りは道路に沿うように流れます。
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緑町。江ノ電のように家と家との間を流れます。
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緑町四辻バス停前。この辺りは車道と歩道の間を流れます。
seki2002_0331_123355AA.JPG緑町交番前。市街地が近づくに連れて堰がアスファルトの蓋で覆われてしまいました・・・。
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緑町、山形北高南側。左側にある歩道の下を流れております。
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七日町。ついに文翔館(旧山形県庁)に到着!
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七日町。文翔館裏にある近年整備された小川も実は八ヶ郷堰なのです!しかし水は流れていませんでした・・・。
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相生町、紅谷醸造場裏。なんか渋い!
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錦町。神明神社の北側を通ってきました。
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錦町。堰も山形新幹線を超えていきます。(この道路の下を横切ってます)
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北山形、青林寺近く。この辺りでは家と家の間を流れているため、堰を見つけるのは困難です・・・。
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下条町。堰はこの旧寒河江街道に沿うように近くを流れています。
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下条町。今では生活排水が流れています。
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下条町。そして堰は左沢線を112号線を越えていきます。
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下条町。左沢線をくぐるとこ。
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江南公民館北側。堰の上には植木や物置が・・・。
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江南。やはりここでも!
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そして堰は旧家屋が今でも残る、
陣場地区へとやってきました。
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陣場、金井小近く。ほとんど側溝です。
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鮨洗。この辺りで堰を見失ってしまいました・・・(涙)。しかし、家に戻って地図を見てみたら堰は手前の吉野宿地区から北に流れていました・・・。
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吉野宿、去手呂踏み切り。ちょうど脇に堰らしき川が流れていたので撮影してみましたが、どうやらこれは貴船川らしいです・・・。


山形五堰とは?(資料提供:山形市田園整備課)

五堰の歴史

1.五堰の歴史
 寛永元年(1624年)、第14代山形城主鳥居忠政が大雨の度に洪水をおこす馬見ヶ崎川(まみがさきがわ)の流れを変える工事に着手した際,水不足で悩む農民のため五堰(原形)が造られたといわれる。
2.馬見ケ崎川の由来(2つの言い伝えがある。)
@山形城主鳥居忠政が工事を馬に乗って盃山から指揮をしたことから。(1624年・江戸時代)
A源義家が清原武則を討つため白馬に釈迦像を乗せてきたといわれ、ある時、病気が流行し人々がこの釈迦像にお祈りをした。その時どこからともなく馬の鳴き声が聞こえてきた。不思議に思って周りを見回したことから、馬見ヶ崎、川を馬見ヶ崎川と呼ぶようになった。(1083年・平安時代)
3.馬見ヶ崎川と呼ばれる前はなに??
 馬見ヶ崎川の下流は白川と呼び、上流を小白川と呼んだ。
4.五堰とは??
御殿堰(ごてんぜき)・・・・延長約 17.5km。馬見ヶ崎川の水を城壕(お堀)に引き、城の防備としたことから、「御殿堰」と呼ばれた。当時は、御殿堰の水は全てお堀に流入していた。
八ヶ郷堰(はっかごうぜき)・・・延長約 16km。山形市北西部の8地区に水を供給したことから、8つの郷の堰「八ヶ郷堰」と呼ばれた。(船町・中野・内表・鮨洗・吉野宿・江俣・陣場・陣場新田)
笹堰 ・・・・47.6km。五堰の中で一番長い。
宮町堰・・・・15km。宮町付近を流れる。
双月堰・・・・19km。市北東部の田園地帯を潤しています。
(全長で115kmあります。)

昔の堰の利活用

1.昔の堰の利活用
奥羽本線から東側の市街地・・・産業や生活用水に利用
特に関係した業種
  製紙工場・製糸工場・精米、製粉の水車業、染物・養鯉・鰻問屋など。
2.生活用水
  庭園の池用の引水、日常用具や野菜の洗い水、洗濯、防火用水。
奥羽本線から西側の農村部・・・水田への大事な農業用用水、市街地同様に日常の生活用水や防火用水で利用。
3.堰の水の分け方
@大石止め・・・・・・・・水の半分を流す。
A小石止め・・・・・・・・ 〃 3分の1を流す。
B俵、しばくれ石砂止め・・完全に止める。
4.水争い
 昔から堰が分かれるところで、大切な水をどちらに多く流すかで争いがあり、見張り番をつけたりしていた。昭和8年も大変な水不足の年で、笹堰の人と御殿堰の人が1000人も集まって石を投げ合ったりした。 → これくらい大事な水だった。
5.堰の現況
 パンフレットを平成10年度作成
 生活排水の流入等で汚れた堰も下水道の普及で,昔の清流が戻り始めている。
  ○チラシの水質検査結果参照
   コンクリート・・・51.1%
   蓋掛け・・・・・・32.4%
   石積水路・・・・・16.5% (完全な石積水路8km)

 平成11年度より 水とのふれあい、堰のある潤いの風景を創造する「水環境整備事業 山形五堰地区」が始まっています。

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